46年目の夢のぶどう物語
ぶどうとの出会い
幼い頃、スーパーの陳列棚の一番上にぶどうの美しい化粧箱が飾られていました。その鮮やかな姿に心を奪われ、ぜひとも味わいたいと思っていましたが、当時の貧しい生活状況では高級なものを母にねだるわけにはいきません。代わりにお年玉を貯め、ぶどうの苗を購入しました。それが私のぶどう栽培の始まりです。
最初に手本としたのはNHKの「趣味の園芸」です。そこでは、病気や害虫対策として年に何十回も農薬を使用する方法が紹介されていました。その方法を実践すると、確かに見た目の美しいぶどうができました。現在、スーパーや百貨店で販売されている多くの農産物がこのような方法で栽培されています。しかし、私自身はどうしてもこのような農薬使用の方法を続けることができませんでした。
幼少期の悲しい記憶
私が6歳のとき、父は農薬の影響で亡くなりました。幼い頃の記憶では、父は田んぼで農薬散布の仕事をしていましたが、当時は適切なマスクもなく、農薬の被曝を防ぐ手段がありませんでした。その経験から、将来自分が農作物を育てるときには、農薬や化学肥料を使わずに栽培することを心に決めました。そして高校生になったとき、無農薬でぶどうを育てる方法の研究を始めました。
亀の甲農園の始まり
亀の甲農園は、山口県山陽小野田市と宇部市の境に位置しています。1972年の高度経済成長期に宅地開発が行われ、それまで先祖代々耕してきた田畑を手放すことになりました。その代わり、現在の亀の甲農園の場所を利用することができるようになりました。以前からの実験の経験を活かして、本格的なぶどう栽培を始めました。
ただし、慣行栽培とは異なり、農薬や化学肥料を使わないぶどう作りは全てを試行錯誤するしかありません。インターネットで情報を交換する手段もない時代です。
そして2018年頃から、ようやく自信を持って皆様にお届けできる立派なぶどうを収穫することができるようになりました。農園を移転して46年。幼少期の夢と長年の努力が亀の甲農園のぶどう一粒一粒に詰まっています。
土づくり-10年越しの完熟発酵たい肥
現在、農園の圃場はほぼ全面に完熟発酵たい肥を敷き詰めています。
入手当初の土地は、かたい粘土層だったため植物の栽培には適しておらず、土の全面入れ替えが必要でした。
そこでまず、深さ1.5mの穴を1,000㎡掘り、バーク(原木の表皮・のこくず)大型ダンプ200台分以上投入を投入。10年かけて大型のバックフォーで切り返し完熟発酵堆肥にし、その後も継続的にたい肥の追加をおこなっています。
2014年からは竹の完熟発酵たい肥を使用。竹のたい肥はぶどうの病気の予防にも繋がっています。
長年積み重なったたい肥によって圃場を歩くとふかふかとした感触を得ることができます。
現在、農園はほぼ全面に完熟発酵たい肥を敷き詰めています。
最初の土地は硬い粘土層で、植物の栽培に適していませんでした。そこで、深さ1.5mの穴を1,000㎡に掘り、バーク(原木の表皮やくず)を大型ダンプ200台分以上投入。10年以上かけて大型のバックフォーで切り返し、完熟発酵たい肥を作りました。その後も継続的にたい肥を追加しています。
2014年からは竹の完熟発酵たい肥を使用。竹のたい肥はぶどうの病気予防にも役立っています。長年にわたるたい肥の積み重ねにより、農園を歩くとふかふかとした感触を味わうことができます。
剪定による成長の促進
大規模な土地の入れ替えや周囲の風通しの良い温室の設置により、ぶどうの成長環境を整えました。しかし、実る房は少なく、またできたとしても貧弱で、長年商品にはなりませんでした。
ぶどうの栽培では成長促進剤に浸けることが一般的であり、何十冊もの書籍を読み漁っても、農薬以外の明確な解決策は見つかりませんでした。
しかし、本を読み続ける中で、剪定に関連する記述のごく一部を見つけました。その剪定方法を何年も継続することで、徐々に大きな房が育つようになったのです。
2006年有機JAS認証取得
亀の甲農園では、農薬や化学肥料を使用せずに栽培を続け、2006年に有機JAS認証を取得しました。農薬や化学肥料を使わずにぶどうを栽培するのは非常に困難であり、認証を受けている圃場は全国でもほんのわずかです。ぜひ、貴重なぶどうをご賞味ください。